2022年02月25日

ベルマガ「フジタ取材」×「俺たちのフィールド」


昨年からご縁をいただいて、
湘南ベルマーレ公認サポーターズマガジン「ベルマガ」の
本誌ライターとして活動させていただいております。

ただいま4号の執筆中なのですが、気持ちのある、多くの言葉をインプットしている状態なので、時間をかけない程度に、少し(原稿に反映はできない)個人の気持ちをアウトプットしようと思います。こういう時ブログに気持ちを書いておくと、私情が強くなりすぎてしまうことを抑えられるので、使えるなと思っているのですが僕だけですかね。




先日、フジタの取材にいって、たくさんの言葉を聞いてきました。ベルマーレの歴史に関しては、森正明さんの書籍「日本代表議長 森正明」を執筆したこともありますし、ベルマガのOBページ連載を通して、ベルマーレ平塚時代のこと、湘南ベルマーレとしてのJ1昇格、多くの言葉をいただきながら歴史について新たな発見がうまれ続けているようなところがあります。

記者になることは、保育園から小学生にあがる時に夢みたこと。自身の家庭環境(良い意味ではなくマイナスの意味です)から、そうなれることに疑いもなく、色々なことがあって大学卒業後に出版の世界に進みました。ご縁があって、地元に帰って、時代もあり、地域にいながら様々な取材に関わらせていただいています。本当に幸せなことで、感謝しながら、より多くの言葉を聞いていきたい、そう思っています。

話がそれたかもしれませんし、頭に浮かんだ言葉を羅列しているだけなので、ちょっと整理もできていませんが、タイトルの「フジタ取材」×「俺たちのフィールド」というのは、子供の頃にフジタサッカースクールにいっていたこと、中学〜高校時代に漫画「俺たちのフィールド」を読んで、地元のクラブにおこっている出来事を学生ながらイメージできたこと、さまざまなことが今、頭によぎっているのでつけたタイトルです。


僕がサッカーを続けなかったのは?

フジタでサッカーを続ければよかったのにと言われることがあるのですが、小学生の頃はプロもなかった時代、地域(近所の方が意味合いは近いですかね)にはサッカークラブもない。おそらく近所のサッカークラブみたいなものを欲していたんでしょうね。何よりも記者になることが胸にあったのでスポーツのプロになることを目指してもいない。理由としては、たくさんあります。


どうしてベルマーレが好きなのか?

自身のスポーツにおける哲学を教えてもらったからです。当時テニスをやっていた中2の頃、ベルマーレ平塚の試合をみにいって、超攻撃サッカーのスタイルに、心を奪われた。攻守すべてを表現することができず、試合すべてをコントロールできなかった自分にとって、気持ちのままに躍動することが、どんなにたのしいことなのか、教えてもらったように思います。それからの僕は、特徴を活かしながら攻撃に特化して、どんどん上達もしていって、湘南地区ベスト4・3位の結果をつかみ、強豪高校へ進むことに。(脱線してしまいそうなので、テニスの話はここまでで・・)

それだけスポーツにおいて自分を表現することが、どれだけたのしいことで、結果にもつながっていくのか。ベルマーレのサッカーから教えていただいた。そこが一番の理由です。

そして、子どもながらの記者という「ものさし」でみていたものは『社会におけるスポーツの価値って、なんなんだろう』ということ。1993年Jリーグ開幕時、ベルマーレはオリジナル10に入れず、Jリーグ準加盟チームとして、昇格を目指す戦いをしていました。それも中学生の頃にニュースや新聞で知ったことです。その時、中学生の僕には何がおきていたのか何もわかりませんでした。


👇1993年 Jリーグ入りを果たしたフジタユニフォームと背番号ゼロは世界一好きなユニフォームです。



小学生ながらスポーツ雑誌「ナンバー」を読んでいたり、社会面でも取り上げられるようなスポーツ報道に関しては、記事をさがして読んだりしていたような自分でも、明確な答えはわかりませんでした。後に川淵三郎さんに取材をして、その理由を直で聞けたことは嬉しさもありましたが、当時何がおきていて、どんな状況にチームはおかれていたのか、イメージすることも、できていなかったです。

そうした時代、サンデーで連載されていた漫画が「俺たちのフィールド」でした。(Jリーグ開幕直前の1992年に連載が開始され、フランスW杯後の1998年まで連載が続けられた)

企業チームがプロチームにかわるってどういうことなんだろう。準加盟って何なんだろう。何もイメージできなかった中学生にとって、セリフと絵でわかりやすく頭に入ってくるストーリーにハマったこと、よく覚えています。特にハマった漫画の内容をまとめると、社会人チーム のヤマキ自動車工業(ヤマキ自工サッカー部)が、Jリーグ入りをはたしてバンディッツ東京というチーム名にかわるまでのストーリー。Jリーグ入りを目指してJ1リーグ(今でいうJ2)を戦い、ナビスコカップではトップチーム(今でいうJ1/実際の1993年と同じ状況)とも戦って、準加盟にあるチームをなんとかタイトル争いまでもっていくというもの。※超コンパクトにまとめていますので割愛しすぎで違うと思われるかもしれません(笑)。日本代表編はそこまで思い入れはないですが、「(1998年W杯に出られない場合)弱き国、日本は金の力でワールドカップに初出場した。世界中からそう言われることになるんだぞ!」の日本代表監督(加茂監督がモデル)のセリフは衝撃でした。

「社長はプロ化を目指さない、結果を残してもJリーグ入りは表明しない」という状況の中で、企業の理念と倫理感を変えるべく、選手たちは結果を出していくことで会社役員の心を動かしていくというチーム・選手と経営陣・社長の理念のぶつかり合いが描かれており、企業側がプロ化を目指すのか、目指さないのか、(企業もスポーツも)揺れている時代をリアルに描いていた漫画であったことをよく覚えてます。

だから、漫画を通してベルマーレが辿った道は、奇跡でしかないんだな、と思ったんですよね。後に世界的プレーヤーになる中田英寿が加入して、親会社であったフジタが撤退して、その時に思ったのも『社会におけるスポーツの価値って、なんなんだろう』ということでした。

J2からJ1へ。このクラブはどんな道を辿るのだろう。
湘南ベルマーレの応援をしながら、ずっと胸にあったこと。
記者席からでは視点が違ってしまっていたと思いますし、
サポーター観や目線というのは今も自分にあります。

フジタがプロになってベルマーレ平塚になった、フジタが撤退して湘南ベルマーレになった、そしてスポンサーに復帰した。。。。奇跡でしかないんでしょうね。でも、応援している人がいるから奇跡はおきる。その事実は、どの時代も変わらない。


だから、僕はベルマーレの歩んだ道も歩んでいく道も、
好きなんだと思うし、好きでいたいんだと思います。


J1に居続ける。このクラブはどんな道を辿るのだろう。


俺たちのフィールド(17) (少年サンデーコミックス) - 村枝賢一
俺たちのフィールド(17) (少年サンデーコミックス) - 村枝賢一


■1993年に開幕したJリーグ。TVで流れるJのテーマ曲の中に地元チームの姿はなく、翌年のJ加入争いを勝ち抜いたフジタブルーのチームは全国的にスポットライトを浴びたわけでもなかった。でも、僕がこの曲を聴くと思い出すのは「平塚をJリーグに」と戦ったフジタブルーのベルマーレだ。






posted by SMC at 2022年02月25日23:27 すぎさきともかず | edit | ページの先頭に戻る
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